★信州くだものニュース掲載原稿
★海外「ふじ」物語〜その3

平成16年7月5日号掲載

アメリカの「ふじ」A

1996年に長野県で「世界りんご研究発表会」が行われ「ふじ」に関する発表が多くの国の参加者から行なわれた。その中でのカリフォルニア州ストックトン市マーク・ルイス氏の発表によると、彼の農場で、はじめて「ふじ」が植えられたのは1979年のことであった。当時、彼の父親が10ヘクタールにグラニースミスを植える時、近所の苗木商のすすめで受粉樹として「ふじ」を植えた。受粉樹としては花のタイミングは良かったが、商品性は何も考えてはいなっかたという。ところがその後カリフォルニア州で受粉樹としてではない「ふじ」の増殖がはじまった。ワシントン州のラルフ中田さんが「ふじ」を栽培し周辺のアメリカ人に食べてもらったところ、評判が悪くアメリカ人には「ふじ」はあわないと思うという話を前回書いたが、実際には1980年代から90年代にかけ「ふじ」は大増殖された。私はそのことがずっと疑問だったが、ある時その理由がわかった。それはアメリカの果樹雑誌の記事だった。記事を見て納得した、簡単に書くと台湾に輸出した「ふじ」が高価格で売れていて儲かるという記事だった。アメリカ人が「ふじ」を好きになったのではなくたまたま輸出した台湾での値段が良かったので、多くの栽培者が、「ふじ」を植えはじめたというのが、増産の理由であった。その記事を読みながら以前、台湾に行った時に聞いた話を思い出した。 それは、「ふじ」は美味しいりんごだけど、アメリカから輸入されてくるデリシャスはダイコンを生で食べるようなマズさだ、という話である。いずれにせよ、アメリカでの「ふじ」の増産は台湾向け「ふじ」の増産であった。

1989年にカリフォルニア州を訪れた時、カリフォルニア州で「ふじ」が1,600から2,000ヘクタール植えられているという話を聞いてびっくりした。その後1990年ワシントン州の中田農園を再び訪れた時中田さんは「ふじ」をどんどん他の品種に高接ぎしていて、「ふじ」は儲かると言っていた。ちょうどワシントン州でもカリフォルニア州でも「ふじ」の大増殖がおこりはじめた時期であった。中田さんの「ふじ」はアメリカではダメですという話から9年後の事である。そして、その後も増産が続き、輸出向け以上のりんごがとれるようになり「ふじ」はアメリカ国内にもでまわりはじめた。カリフォルニア州は成熟日数は充分確保できるが、着色についてはあまりにも条件が悪かった。カリフォルニア産の「ふじ」には赤い色がほとんどついていない。  

やがて、ワシントン州から赤い「ふじ」が出回り、台湾にも他の国々から良質の「ふじ」が入りはじめた。その後カリフォルニア産の「ふじ」がどうなって行ったかは次回に書いてみたい。

 果樹研究会中信副支部長

    中村隆宣