★りんご栽培者としての想い


りんご栽培の歴史〜「ときめき」 

                      中村 隆宣

 日本にはじめて、今のような生食用のりんごが入ってきたのは、今からわずか 130年くらい前のことです。明治時代より以前には日本には今のようなりんごがなかった事を言うと、たいていの人はびっくりします。平安時代に中国から渡来したりんごはいわゆる鑑賞用の小さな姫りんごだったので、昔の人はりんごは食べられない物と思っていました。明治時代、鎖国を解いて西洋のりんごがアメリカから入ってきた時、皆一応に驚いたようです。とは言ってもそれは港の近くの都市部の人たちだけで、地方の人たちは、配られた苗木にりんごが成るまでは西洋りんごを見ることもできなかったのです。
 りんごの苗木がアメリカから全国に導入されたのは明治7年の事でした。その年長野県に3本、翌年青森県に3本苗が入りました。私はその時の人々の気持ちを想像すると「わくわく」してしまいます。りんごの苗を植えた明治の人たちはその木に何が成るんだろうかと「ときめいた」はずです。そして、りんごがはじめて成った時さぞかし感動しただろうと思います。日本のりんご栽培はそんな人々の感動そして「ときめき」から始まったことに私は強く惹かれます。そして、その時の「ときめき」の気持ちを受け継いで私もりんごを作り続けたいと思っています。
 では、その西洋りんごの起源はいつ、そして、どこなのでしょう。 私は今から10数年前トルコを旅しました。りんごのルーツを探す旅でした。でも残念ながらりんごの原木を想像するような古い木に出会うことはできませんでした。でもトルコのりんごの起源と言われているアマシアと言う町を訪れ、りんごを栽培している人たちに会いました。りんごはこの地帯に紀元前2000年頃から原生していたと言っていました。そして、りんごは少しずつヨーロッパ大陸にその栽培が広がり、イギリスなどからアメリカ大陸に渡り、そして日本にも導入されたのです。これは、りんごの4000年の壮大な旅でした。まさにそれ自体がりんごを作る人たちの壮大な心の旅であったと私は思っています。りんごを作りたいという「ときめき」の思いが、4000年の時を超え、私たちの心に今も伝わっているのです。