騒動の遺跡

安曇野市三郷 中萱   義民塚(松本市宮淵)
加助さんのお墓。右わきの小さな墓石は加助さんの弟,子どものもの。
女房のお民さんの戒名も加助さんの墓石の左側に刻まれている。
昭和25年に発見された義民の遺骨はこの義民塚に葬られている。

貞享義民社(安曇野市三郷 中萱)
加助の屋敷のすぐそばに明治時代に建てられた。加助木像はこの神社にある。また境内の貞享義烈碑、柿之本芳月の「二斗五升語り伝えよ いねの波」の句碑は一見の価値あり。

300年祭記念碑(安曇野市三郷 中萱)
昭和63年三百年目の慰霊祭が催された
善兵衛とその家族の墓(安曇野市三郷 楡) いちょう堂(安曇野市三郷 楡)
おしゅんも共に眠っている 善兵衛の妻おさとさんが髪を下ろし家族の菩提を弔ったと伝えられるいちょう堂
50年忌供養塔(安曇野市三郷 楡)
騒動から50年後、この地の百姓たちは騒動の
犠牲者の法要を盛大に行ってこの碑を建てた。
当時から大切にされてきたことがわかる。
水野家廟所 松本市玄向寺(松本市大村) 国宝松本城
初代忠清から五代忠幹まで、正室とともに眠る
最近の調査でどの墓にも遺骨がほおむられている事が確かめられた
支配者の象徴ではあるが、見事な姿を保っている。
加助がにらんで傾いたという伝説があるが、明治期には老朽化して傾いていた。

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