百姓一揆をテーマにした展示館は全国的に見ても
珍しいのではないかと思います。

時は貞享3年、安曇野は初冬の寒さが忍び寄る10月のこと
時の藩主は水野忠直公、ちょうど江戸へ参勤中のことでした。

ここ10数年は松本平は冷害による不作続き
百姓たちの暮らしも楽ではありませんでした。

そこへ、今年は年貢の取立てがいっそう厳しくなったのです。
年貢を納める郷蔵の前では、収納に当たる納め手代と
百姓の間に険悪な空気が流れます。

「百姓とて人間だ。このままでは安心して生きていけない。
加助の片腕善兵衛の娘、しゅんが仲間への連絡に走ります
加助と考えを同じくする仲間が集まりました

シアター映像より

「ここはお奉行様へ直接訴え出る他はあるまい」
「それは 越訴!」
「越訴は御法度」
「黙っていては何も変えられない。」
相談はまとまりました。

10月14日 加助たちは松本城下奉行所へ。
「お願いでございます」


  御訴訟口上之覚
一 先年古不連籾のぎふミみかき候儀ハ無御座候.
十年以前
ニ 従 公方様御情舛被下置難在奉存候刻籾ふミみかき
 御取被遊候ニ付御領内百姓共御訴訟申上候得共御赦免
 被下候所に当年不作ニ而御年貢半分も無之候百姓難儀
 仕候処籾ふミみかき御取被成候儀何共迷惑仕候御事

            先年、こぼれ籾のぎふみみがき候儀は 御座なく候 10年以前公方様より御情け枡下し置かれ、有難く存知奉り候 すなわち籾籾踏み磨き御取            り遊ばされ候に付き御領内百姓共御訴訟申し上げそうらえども御赦免下され候ところに、当年不作にて 御年貢半分もこれなく候 百姓難儀仕り
            候ところ籾踏み磨き御取りなされ候儀なんとも迷惑仕り候御こと

一先年ハ籾一俵ニ付米二斗五升挽尓御収納被遊候処尓
 斗挽に御取被成候儀無是非罷在候を当納ハ三斗四五升
 挽尓御納被成候一国の内尓も高遠諏訪領ハ只今尓至る
 迄二斗五升挽尓御取被遊候御領分も此並尓御取被下置
 候ハバ難有奉存候御事

             先年は籾一俵につき二斗五升引きに御収納遊ばされ候ところに 三斗挽きに御取りなされ候儀 是非なくまかりあり候を 当年は三斗四 五升
             挽きにお納めなされ候 一国の内にも高遠諏訪領はただいまに至るまで二斗五升挽きに御取りあそばされ候 御領分もこの並に御取り下し置             かれ候わば有難く存じ奉り候御こと

一二十分一大豆籾代尓御取被遊候上者籾値段尓半分の
 大豆金御取可被下候御事

             二十分の一大豆 籾代(籾の代わり)に御取り遊ばされ候うえは籾値段に半分の大豆金御取りくださるべく候御こと

一近年江戸甲府御払米大分に被遣候去々年より
 米一俵ニ付米一升宛外尓御取被成候其上金澤浦野まで駄賃
 百姓手前より一駄尓付五百七十文宛出し申候上馬無之
 候百姓ハこんきう仕候御領分切ニ付払可被仰付候御事

             近年江戸甲府お払い米大分に遣わされ候 去々年より 米一俵に付き米一升ずつ外に御取りなされ候上 金澤 浦野まで駄賃 百姓手              前より一駄につき五百七十文ずつ出し申し候 上馬之無き百姓は困窮仕り候 御領分切りに仰せ付けらるべく候御こと
 

一御小人之余内金跡々御條目御捨免被下候処尓人双村に
 て御吟味つよく被遊御切米少分尓て御奉公不罷成候尓
  付百姓手前より半分弁出し申候所めいわく仕候御事

             御小人のよない金あとあとご条目御赦免下され候ところに人双村にてご吟味強く遊ばされ 御切り米少な分にて 御奉公まかりならず候に付き
             百姓手前より半分弁出し申し候ところ 迷惑仕り候 御事

 
右之通御情尓御赦免被下候ハバ有難存候以上
 
 十月十三日            御領分惣百姓共
 
   御奉行様
シアター映像より

「これは越訴であるぞ。罪なることは存じておろう。」
「早々に立ち去れ!」

しかし加助たちは動きません。
加助たちの後ろにはいつしか1万人もの百姓たちが
蓑笠姿で集まっていました

10月16日 奉行名で出された回答書

          覚

一 籾収納之事当領之儀ハ御先代より籾五斗三升入尓て米尓

挽三斗有之様尓納来候然処当年ハ三斗四五升有之由曾

て以て年寄共不存儀猶以 殿様御存知無之儀に候然る

上ハ納手代共私を以て納つよく候段不届至極に候依之

役儀召放し外尓新手代申付候間籾五斗三升入尓納御先

代之通り三斗挽有之様尓所々あて挽申付過不足無之様

尓申付候尤ふみみかき候事堅無用尓申付候事
,籾収納のこと 当領の儀は御先代より籾五斗三升入れにて米に挽いて三斗これあるように納め来たり候 しかるところ当年は三斗四 五升これある由 かつて以って年寄り共存ぜず 猶もって殿様ご存知これ無き儀に)候 然る上は納め手代共 私を以って納め強く候段不届き至極に候 これにより役儀召し放ち 外に新手代申し付け候間 五斗三升入れに納め
御先代の通り三斗挽きこれあるように所々あて挽き申しつけ過不足これなきように申し付け候 もっとも踏み磨き候事堅く無用に申しつくべきこと

一 二十分一大豆之儀是又御先代より取来候処尓先年半分

  金子尓て差上度由願尓付其通尓被仰付自今以後願之通

  籾値段可被仰付候事

二十分の一大豆の儀 これまた御先代より取り来り候ところに先年半分金子にて差し上げたき由願いに付きその通りに仰せ付けられ 自今以後願いの通り籾値段仰せつけらるべく候こと

一 江戸甲府へ差遣候米一俵尓かん米1升外尓入候由是亦

  納手代共不届尓候向後かん米少しも不入様尓申付候事

江戸甲府へ差し遣わし候米一俵にかん米1升外に入れ候由 これまた納め手代共不届きに候 向後かん米少しも入れざるように申し付け候事  

一 金澤浦野まて付届候儀迷惑仕候由雖然領地五里附出し

  之義 御公義御定付而御先代より浦野迄付届来候間先

  規之通浦野迄附届可申候甲府へ差遣候米之義は近年払

  米尓候間自今以後塩尻町切に付払可仕事

金澤 浦野まで付け届け候儀は迷惑仕り候由といえども 然る領地五里津だしの儀 御公儀お定めについて御先代より浦野迄付け届け来たり候間 先規の通り浦野迄付け届け申すべく候 甲府へ差し遣わす米の儀は
近年払い米に候間 自今以後塩尻町切りにつけ払い仕るべきこと

一 小人よない金之義先年御法度尓被仰付則小人給金御加

  増被下置候付よない出し不申由庄屋共年々証文迄出候

  然処尓内證尓て今以餘内内出し候由向後手前抱尓申付

  餘内取不申様堅可申付事


小人よない金の儀 先年ご法度に仰せ付けられ すなわち小人給金御加増下し置かれ候につきよない出し申さず由 庄屋共年々証文まで出し候
然る処にないしょうにて今もってよない出し候由 向後手前抱えに申し付けよない取り申さず様堅く申しつくべきこと

 

  寅十月十六日        日根野儀兵衛  印

                小島五郎兵衛  印


シアター映像より


松本藩の重役たちは困りました。
なんとしてもこの騒ぎを収めねば

しかし加助らはなおも城下にとどまります。そして・・・藩はついに加助らの訴えを全面的に認めたのです。しかしそれは騒動を鎮めるため
     の策略でした。騒動から1ヵ月後、最悪の結末を迎えます。加助ら頭領をつとめた者は磔、
その家族まで獄門 28人もの多くの人々が犠牲となりました。
そして年貢は今までとおり 


この騒動は意味のないものだったのでしょうか。決してそうではありません。
人々の心に大きな火をつけたのです。そしてその火は200年後大きく燃え上がって
自由民権運動へつながっていくのです。


処刑の翌日 藩から出された布告


     覚
今度百姓共収納之儀ニ付大せい城下へ相詰五ケ条
之願書付指出候故郡奉行共方より吟味之上可申付候
間村々へ可罷帰之由事を己け申渡候へとも不致承
引十月十四日より同十八日迄日々罷出候由依之非分之
訴訟といへとも我等留守故当分志津免のため年
寄共方より願不残可相叶由申ふれ村々へ返し
候由委細江戸尓於ゐて聞届候事
常々百姓共願有之者役人共を以郡奉行
共方へ申達候様ニと申付置候成ニ代官下役人
共を差越非儀なる訴訟 剰
公儀御法度之一味一同をいたし並城下の町屋へ入我
ままをいたし衣服等をぬすミ取の仕方重罪至極ニ
付而せんきの上とう里やうの者此度仕置ニ申付候事
今度書出し候五ケ条之願新法ニ申付候儀者無之
先代より有来儀共申出候尓付而一ケ条もさしゆ
るさす間前々之通ニいたす遍く候我等代ニ色々用
捨を加へ有来候役義等もゆるし候処ニ此度いたづら
者付火可仕旨申ふれ候尓おそれ訴訟ニ罷出候段不届ニ
候重而ケ様之儀候ハバ其所之庄屋組頭迄せんきの上急
度曲事可申付候事
右之旨在々百姓共ニ可申渡者也
 
 
    十一月 日
右之趣従江戸山上図書秋元源五兵衛を以被仰出候
間庄屋組頭小百姓迄可申渡候 以上
 
 貞享三寅年
    十一月廿三日             小嶋五郎兵衛  
                             日根野儀兵衛 
 
 
                 成相与中曽根村庄屋惣百姓中
 

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