蕗の薹
このページは、故望月みな子の遺句集、「ふきのとう」の原文を HTML 化したものです。
序
この度、ご家族様のご協力により、今は亡き望月みな子さんの句集「蕗の薹」をお出しになられますことは、この上ない喜びであり心からお祝い申し上げます。泉下に眠るみな子さんもきっと感激なされていることと思います。
みな子さんが俳句の道を志したのは、私の書道会へ入会頂いたのがご縁で、書道と俳句を始められました。当時、みな子さんは民生委員の要職にあり多用な身でしたが、真剣に取り組まれ、その苦労は大変だったと思いますが、見る見るうちに実力を発揮され、俳句の方は、穂高町でも伝統俳句で名の知れた香風会へ入っていただき、毎月の句会にもご出席され、優秀な成績をおさめられました。そのころ親友の望月ちづ子さんのおすすめもあり、私の恩師である、藤岡筑邨先生主催の俳誌「りんどう」へ入会し更に勉強され、その下向きな努力と作句への旺盛な意欲には、ただただ頭の下がる思いでした。
書道の方も、私のまた恩師で日展審査員、尾崎邑鵬先生の書法を学ばれ数々の優れた作品を遺されました。
俳句も郡をはじめ、香風会、りんどう、へご投句され、数多くの俳句を遺され、多くの皆さんから将来を嘱望されていただけに、本当に残念でなりません。
先日、ご主人様がお見えになり、みな子さんの句を遺して置きたいからと、今まで作られた句をまとめてもってこられ、選句をお願いしたいと頼まれまして、微力ではありましたが、みな子さんのご供養にもなるのではないかと思い、お引き受けさせて頂きました。
つなぐ児の手のぬくもりや蕗の薹
日差しも日一日と強くなり、水辺にも春の香りが漂いはじめて、都会では考えられない、のどかな安曇野の風景です。
久しぶりにお孫さんの手を取り田んぼ道を散策したのでしょう。土手の隅には消えかかった雪がまだところどころに見られ、すでに蕗の薹が顔を出しています。お孫さんの手のぬくもりが伝わってくるようです。
幼子の首を飾りし柿の花
柿の花は他の果樹と違った情趣があり、私も子供のころ柿の花に糸を通してもらい、首に花輪のように掛けてよく遊んだものです。
みな子さんも、きっと幼いころを思い出しお孫さんの首へ柿の花を飾ってあげたのでしょう。お孫さんの嬉しそうな笑顔が目に浮かんでくるようで、みな子さんのお孫さんを愛する誠実な人柄が現れています。
蛸風船子の手を逃れ初御空
初売りの買い物で蛸風船を買ってもらったのでしょう。小さな手に蛸風船の紐をしっかり握り、ふわふわと泳がせながら歩いているうちに、ちょっとした隙に手から離れ、あれよ、あれよと言う間に舞い上がり、初空高く消えゆく風船を、いつまでも見上げている母子の顔が見えるようです。
七五三孫嬉々としてわが身老ゆ
眠る児に心ひかるる夜鷹蕎麦
子と和する校歌朗々入学す
ジャンケンにいつも負ける子切炬燵
孫の絵の画紙をはみだす大糸瓜
寒休みハワイの孫から電話くる
ほんのりと児の頬染めし屠蘇の酔ひ
のびのびと田舎で育つ酔芙蓉
判読の孫の手紙や小春道
園児らの夢のせ風船舞ひあがり
どの句にも、みな子さんの心の優しさと愛情が滲み出ていて、お孫さんの成長ぶりが現れています。
磐梯山も一握りなり夏飛行
農作業も一段落し、空の旅に出掛けたのでしょう。天候にも恵まれ、磐梯山を翼下に見下ろした大景はすばらしい眺めだったと思います。
この句の「一握りなり」がとてもよく生かされており、空から旅を楽しんでいる情景が見事に描写されています。
百千鳥温泉宿の夜明け早めをり
キャンセルに募る旅心や吾亦紅
膳にのる岩魚をほぐす沢の音
三句とも旅情をそそる深みがあり、それぞれに持ち味が出ています。
元肥の正直に出て青田面
作物は稲ばかりでなく野菜にしても、手入れをして肥料を与えてやれば、それなりに成長して期待に應えてくれます。この句は、やや色褪せた青田へ追肥を施したのでしょう速効性の肥料であれば水稲の場合は、四、五日で効果が現れ葉も青々としてきます。肥料に例えて言えば、中句の「正直に出て」が最高に効き目の現れたところで、句を甦らせています。みな子さんの正直な心が、そのまま句に出たのでしょう。
花愛でる余裕もなくて農忙し
櫻の花見もゆっくり出来ない、田植え時の多忙な生活が、ありのままに表現され、汗と土の匂いのする句です。
冷害田肩を落として案山子立つ
不況と冷害に泣く百姓の無念の思いが、「肩を落として案山子立つ」により、鋭い感覚で捉えられています。
喉元にいまだうろつく夏の風邪
呼び込みの声つぶれてる師走市
この二句とも、ユーモアたっぷりで雰囲気がよく出ています。「うろつく」「声のつぶれて」が実に効果的で充実感が漲っています。
前句は、夏風邪がなかなか抜けず、いつまでも喉元に痰がからまっていることを物語っています。後句は、師走の市場で、声をからして客を呼び込んでいる様子が、見事な手法で捉えています。
それなりに暮らしてをりぬ秋簾
平明な表現の中に、奥深い俳味を蔵しています。
意のままにならぬ運筆なめくじり
「意のままにならぬ運筆」と「なめくじり」の対比には驚きました。
かきつばた筋の通りし子の主張
「筋の通りし子の主張」只々あきれるばかりで、お見事と申し上げるより言葉がありません。
かりがねの会話の届く村のビル
夕暮れの迫ったビルの屋上で、雁のねぐらへ急ぐ姿を見送っていたのでしょう。一羽が鳴けば、また一羽が鳴き、何か会話でもしているように聞こえてきたのです。
捜し物足もとにあり夏陽落つ
日常の生活でよく経験する事で、この句の「足もとにあり」の目の付け所がとてもすてきで実感がこもっています。
蚋燻す煙り這はせて夕支度
一日の仕事が無事に終わり、蚋避けの煙を這わせて、夕食の準備に取りかかって居るのでしょう。まな板を鳴らす包丁の音、味噌汁の匂い、厨に働く主婦のうしろ姿が見えるようです。
まだ心に残る句が沢山ありますが、この辺にて失礼させていただきます。
平成十一年 三月
浅野 玉穂
りんどう
つなぐ児の手のぬくもりや蕗の薹
生檜焚く音はじけ寒明けぬ
春遠し津軽ことばの酒の宴
花なずな休耕田を占領す
解体の重機宙切る弥生尽
同年会老いが話題の冷奴
蝿叩き握りしままの大昼寝
新緑や大樹に憩ふつがい鳩
幼児の首を飾りし柿の花
新緑の家早ばやと青簾
朝虹や雨具かさばる旅支度
捜し物足もとにあり夏陽落つ
新み霊供物あふれし夏座敷
蚋燻す煙這わせて夕支度
のびきらず花をつけたる秋の草
乱雲の動きにゆるる百日紅
栗の実をつめ放題の子のポッケ
木の揺れのそれぞれ違ふ野分かな
蝗取り顔上げぬまま小半日
兵糧を腰に巻きつけ蝗捕り
枝打ちて掛字に届く秋陽かな
喉元にいまだうろつく夏の風邪
口紅の飴に吸はるる七五三
籾殻の灰白くして冬近し
横文字の目に飛びこみて霧の駅
呼び込みの声つぶれてる師走市
寒禽や口滑らかな付添婦
ジャケツ着て足音ころし夜のナース
学博き講師と出会ふ女正月
鴨鍋や馴染の亭主狩名人
雪原や轍に頼り家探す
川の辺に足踏み鳴らす蘆の角
向ひ風足にからみて春浅し
湧き水に長き芹の根梳き揃す
スカーフを強めに結ひて田芹摘む
園児らの夢のせ風船舞ひあがり
追ひ風に道決められて春の蝶
改装のなじめぬ椅子や蜆汁
草萌や透けし玻璃戸の厨妻
初卵の温み手にあり日脚伸ぶ
色褪せし幟もまじる三男坊
沢音のかすかに聞こえ木々芽吹く
新緑や露天の朝風呂一人占め
雛罌粟のかすかに揺れてなまこ壁
元肥の正直に出て青田面
濁流の橋桁に飛び散る青胡桃
久々に戻る青空鵙の贄
剪られ透く園を吹き抜く秋の風
古文書に白頭寄せいる初座敷
栗の実のどさんと届く郵パック
かりがねの会話の届く村のビル
それなりに暮しておりぬ秋簾
意のままにならぬ運筆なめくじり
うら盆会おへて野風に吹かれいる
産卵の場所のまちまち秋隣り
野に返す鈴虫別れを鳴きかはす
鳥避けのラジオ流して早生葡萄
おやき焼く工場の匂ふ冬隣り
漢方の効きめ確かや膝の冷え
初髪で縁起の手締め受けてをり
遠会釈うけてほのぼの草紅葉
満ち足りて心落ちつく炭炬燵
眠る児に心ひかるる夜鷹蕎麦
産後の日数へかぞへて春支度
横なぐる雪にまかせる道祖神
きりきりと弓引く乙女梅見月
隙間からしのび込みたる春の風邪
診察の待つ間蟷螂の目と話す
剪定の音をたよりに人に逢ふ
水温みよちよち歩きの遠出かな
雛壇に登りし童一年生
木の芽晴今日待望の帯祝
公園にふらここ揺れて子の世界
蔵掃除捨てて拾ひて春日過ぐ
子と和する校歌朗々入学す
山畑に人待ち顔の芝蕨
百千鳥温泉宿の夜明け早めをり
隣室のはなし気になる夏の宿
新居成り蛙声聞こゆと娘の電話
花火師の口火投げ込む技を見る
漆器祭値切上手や夏着客
のびきって流されてゆく蚯蚓かな
雷雨来て出穂うながす米どころ
桐咲くや生家に揃ふ老姉妹
不格好な七夕まんじゅう里みやげ
盆終えて常連そろふ散歩道
向日葵や初志貫きし翁の碑
夕ぐれて倒伏田に鴨群れる
降り出せば止むこと知らず乱れ萩
大雨の朝も煙出す籾殻の山
秋つばめ旅立つ気負ひ更になく
指吸ひて母待つ嬰冬帽子
芭蕉忌や落款の朱あざやかに
性格の歩きに見えて息白し
庭占めて咲かずじまひの琵琶の花
ジャンケンにいつも負ける子切炬燵
村の道誰彼声かけ暮れ早し
獅子舞の口から笑み出るなじみ顔
蛸風船子の手を逃れ初御空
もどかしく凍てし葱むき客用意
雪解けの音ひびき会ふ杉木立
薮雀春立つ音を奏でけり
窓越しに測る寒さや樹々の風
薬湯にたっぷりつかり牡丹雪
年度替り酒臭の抜けぬ夫の服
つかみ取る野草に初蝶まぎれをり
おちこちに心むき出し花の宴
旬だぞよ筍掘れと床の爺
河鹿追ふ子供のやうに脛出して
水槽に岩魚およがせ山の宿
トンネルに雫のおちる雪解風
流木の長くつながれダム薄暑
ランドセルにシャツ結めてあり夕薄暑
良い汗に感謝してます馬鈴薯を掘る
下校子の手に摘草の跡があり
冷し酒コップの底の閻魔さま
うどん打つしたたる汗を袖で受け
卵抱く鳥に威され麦を刈る
梅雨はげし宛名のにじむ荷が届く
石楠花やステンドグラスの施設建つ
雷雲や屋根職人の早仕事
寝苦しき部屋に舞ひこむ蛍かな
見る人の手も動きいて盆踊り
孫の絵の画紙をはみだす大糸瓜
敬老日野の花生けて歌が出て
乾燥機音夜もすがら稲実る
初咲きの木犀香る新所帯
とんぼうの迷ひてをりぬ杭二本
判読の孫の手紙や小春道
今日も掃く落ち葉の嵩や大欅
野良仕事おわりし燗に菊膾
三川の流れ落ち会ふ冬霞
夫と来て扁額読み得し雪の寺
遠くより孫だけで来る寒休
嫁とりの話まとまる雪帽子
相部屋の病む者同志年忘れ
冬木立透けし向こふに我が在所
声色の弾んでをりぬ初鴉
雪晴やつかの間の陽を部屋に入れ
味少し変はるお葉漬二月尽
やしょうまに彩こね入れる涅槃の日
縄飛びの技いろいろや春休み
小鳥の餌そのままにあり霙降る
藁焼きの煙り這ひゆく寺の鐘
迷ひ子に祖父の名を聞く草もみじ
案内の文字頼りなき野路の秋
色鳥や庭師にまかす木のかたち
田に写る己が影追ふあめんぼう
出品が達者のあかし菊花展
柿すだれ今日は端まで掛かりをり
杉落葉しきつめ宮のひそとして
今年また手抜き増やして掃納
薄氷を踏む音つづく通学路
降る雪に埋まる玩具の赤と青
鶏の餌少しわけやろ寒雀
寒休みハワイの孫から電話くる
足跡は身なれし蟹股雪あがる
恋い猫の邪魔して暇を持てあまし
啓蟄や薬臭の窓開け放つ
声交し婆三人のなずな摘み
りんどう三〇〇号記念自選句
はだれ野に鴨飛び交はす薄明り
安曇野に融雪誘ふ水の音
つなぐ手の小さきぬくもり鰯し雲
生檜葉の焚く音はじけ寒明けぬ
黒煙の白きに変はり野火上がる
春遠し津軽ことばの酒の宴
磐梯山も一握りなり夏飛行
裏庭のみつ葉供へて七回忌
小雀やスキップハミング幼稚園
外に出れば五臓六腑に春の風
花摘みの児にやはらかき春陽かな
初蝶を追ふ児につれなき水溜り
行く春や芯俯きて雨を受く
見渡せば人影はなし田草取る
草むらに息をひそめて昼蛍
りんどう三〇〇号記念俳句大会入選句
病室の蝿一匹に目が揃ひ
大坪一枝選
瀧川照子選
香風会
花菜まだ揺れいて汽車の遠ざかる
菜の花や郡境近き道しるべ
陽炎や土塀の上の眠り猫
かげろうや稚魚光りをり網の中
長雨の予報気になる麦の秋
草むらに息をひそめて昼蛍
片足を堰に取られて蛍狩
晴間見てまた干す傘に柿の花
植えおえて雨静かなり粽蒸す
城址に一句をひろふ夏薊
百姓の野良に燃えいる雲の峰
園児らの帽子がつづく雲の峰
夕涼し雨のあがりし野菜畑
病癒え盆の踊りの曲にのる
秋暑し居る場所のなき家の中
足音に鈴虫の音はたと止み
初午やバケツに水張り豆腐買ふ
そのままに留めおきたき今朝の虹
初雷の遠のく音を夢に聞く
田の畔に心なごますじしばりの花
老眼の度合深まる夜長かな
キャンセルに募る旅心や吾亦紅
ボブスレー紅葉巻きこみ疾走す
柿紅葉掃くに忍びず手で集め
主のなき屋敷の跡の木練柿
屋根替へて雨音はじく秋の宵
そわそわと腰の座らぬ師走客
鉄の独楽親子三代技競う
柏手の凛とひびきて年明ける
めぐり来て去年そのままの雪景色
ほんのりと児の頬染めし屠蘇の酔ひ
春の雪手堤にのぞく足袋の替
屋根の雪なだれ落ちくる午後の雨
這い廻る子がもてなしの初節句
門の扉を固くとざして風邪こもる
建前の音ひびきくる春光裡
歯痛失せいつかまどろむ春炬燵
たれこめし雲に割りこむ揚雲雀
花愛でる余裕もなくて農忙し
亡母植えしあじさい庭を広めをり
メルヘンの世界にかかる虹の橋
高台の養老院に鯉のぼり
夕闇を呑んでぼたんの花重し
試作田丈それぞれに青田風
燕子花筋の通りし子の主張
台風や早めに閉ざす雑貨店
飛行雲台風一過の空翔ける
冷害田肩を落として案山子立つ
外孫の無事に帰りて夏果つる
空蝉の爪のみ生きて桑畑
室穴に手間暇かけて冬支度
膳にのる岩魚をほぐす沢の音
斑猫や向きを変へ居る道しるべ
山裾の墓前に赤きダリヤ咲く
ダリヤ咲き新居ひときは華やぎぬ
たんぽぽに居座られたる休耕田
初箒手に手に挨拶青垣根
反古の炭まき散らかすや東風の中
寄生木の揺るるに任す鉄線花
被災者の画像へ心の寒見舞
干し布にへばりつきたる冬の蜂
聞きなじむ深夜放送春の風邪
縄飛びの波に乗る子ら冬日和
雪解の道をひろいて猫歩く
代掻の田のむらなほす老ひみせず
夏菊や味物足らず醤油さす
梅雨寒や博物館に農具見る
閉店の庭に水木の花満つる
空蝉やたよりにならぬ記憶力
遠き日のにがき思ひ出青鬼灯
天地のめぐみたまはり豊の秋
天気予報たちまち変はる野分空
山茶花の垣をたよりて友訪ね
七五三孫嬉々として我が身老ゆ
登校の子ら息白くつづきけり
行き着くは戦地の話し炉火かこみ
対岸の景もあらはに霧晴れる
獅子舞になれたる子らの悪ふざけ
葬儀果て泥のつきたる足袋を脱ぐ
ぱんぱんと叩いて足袋のまとめ干し
如月や川魚すばやく身をかくし
如月や川改修の重機音
今日もまた事なき暮し犬ふぐり
大試験終り目にしむ空の青
時鳥植樹の山を見てまはる
新緑や力いっぱい畑を鋤く
新緑や昴ぶる気持を温泉に沈め
夕河鹿落人の里賑しむ
咲く力まだ残りいる酔芙蓉
のびのびと田舎で育つ子酔芙蓉
背な流す手つきで母の墓洗ふ
読めぬ字の戒名さすり墓洗ふ
背なの児と共に指さす夕月夜
野良仕事おわりてしばし月と居る
孫のあと笑ってしかる麦畑
痩せ蔓に糸瓜大きくぶらさがり
隣村の秋の祭りの音に浮かる
消灯の閨のあかるき十三夜
灯を消して後の月見る厨窓
揺れるたび籾殻こぼし行く車
付添ひの交代時間星冴へて
山あいの空を広げて枯木立
顔色がよくて快癒の寒蜆
駆り立てる外の日射しや春なかば
落葉松の芽吹き一山咲き満たし
鶯や経の間にまに山の寺
雑踏にはぐれじと追ふ夏帽子
袋戸に煤けた亡父の夏帽子
白つつじ庭の日暮れを留めをり
白牡丹一枝で部屋を満たしをり
身の丈に草いきれして休耕田
子連れ鴨ひときは高き威し鳴き
時を経て疲れ出てくる夏の果
廃屋の垣根に菊の香りをり
放れ犬鎖引きずる月見草
壁にまり投げて遊ぶ子夏休み
点滴を受ける身となりあかね雲
掃き寄せし落葉にからむ風のあり
もみじ晴鳶に風問ふパラグライダー
寄稿文
みな子さんと俳句
望月ちづ子
みな子さんの遺句集をご家族の手で作られると聞き、私も是非一筆書きたくなった。
みな子さんが若くして亡くなってから七月が来れば、早くも二年になろうとしています。私の心にはぽっかりと穴があいたような気がします。
彼女が俳句をやり始めたのは、たぶん私と共に浅野先生の所へ習字を勉強に行き、私が習字の後、先生に俳句を見てもらっていたからだと思う。
平成四年正月十五日、二人で歳時記を買いに出掛けた途中三郷の住吉神社へ寄っていくことになり、まだ注連飾りも新しく正月気分の誰もいないお宮へお参りをし(彼女とはよく旅行等へ一緒に行った)、倭の鶴林堂へ寄ったが気に入ったのが無く、松本へ車を走らせて、本町の高美書店だったと思うが、ここで季寄せを買った。
それからは習字の後など浅野先生からご指導を頂き、めきめきと腕をあげた。彼女は良い感性があり、せっかく香風会でも秀逸が続出するようになったのに、途中で病魔に冒され、まさか病状が悪く進んでいるとも知らず、習字などに行かないかと、しつこく誘ったのを今は後悔している。天国で諸先輩方と句会に参加してほしいと願っています。
平成十一年三月
友よ安らかに
平川 広子
みな子さんの遺句集を出されることご主人様よりおうかがいし、こんな嬉しいことはない。
「みな子さんよかったね」と思わず語りかけ心からお祝い申し上げます。
みな子さんとは民生委員で知り合い不思議とうまが合いよく話をし笑いあったものだ。そんな或る時俳句の話がでて句会へお誘いし入会されたので、会議、句会、旅行などと御一緒する機会が多くなるにつけ意気投合して親しくなった。みな子さんは趣味が多く勉強も広くされ、自己をしっかりと持ち、何よりさっぱりした性格が大好きだった。
平成九年六月病状がよくないと聞き、私が香風会の代表で、信大へ御見舞いに伺った時のこと、詰所で面会を許され、ホッとして病室のドアを押したら、丁度シーツ交換をしていて少し待ってほしいとのことであった。その内に終わったので病室に入ってみると、綺麗になったベットに、きちんと着物の衿を会わせたその姿は、ほんとうに清々しく、端麗そのものといった美しさだ。
これが激しい病苦に耐えて居る人の姿なのかと、自分の目を疑う程だった。声をかけたらわずかな笑みを浮かべて「来てくれただね、、、」と。それから手厚いご家族様の看りのこと、俳句のこと、筑邨先生のこと等短い時間だったがお話しし、疲れてはと後ろ髪を引かれる思いで病室をあとにしたが、みな子さんの寝嵩の小さいのに胸を締め付けられる思いだった。ひたすら癒えを念じての帰路だった。
私はみな子さんの俳句へに意欲、そして句の大きさ、繊細な感性に惹かれ、期待をしていたのに、その来るべき開化も待たず、余りに早いお永別が悲しく、惜しまれてならない。今思えば最後のお別れとなった、あの病室でのひと時が、私には玉のように思われ、同時に救いでもあったかのように思われる。
言葉もない今万感をこめて、再びこの句を捧げ御冥福をお祈り申し上げます。
散り急ぐ沙羅一輪に雨の音
平成十一年三月
あとがき
妻みな子は昭和三十三年二十二歳で私の所に嫁いできてくれた。農家の六人兄弟の長男の嫁で両親との九人家族、大変であったが二人の子を育て、家族の面倒もよくみてくれた。
意思は強いが思いやりのある妻だった。
一生懸命に働き、少し余裕の出てきた五十年頃近くの知人たちとともに趣味として詩吟を始め、暁岳流の奥伝となった。
昭和五十五年乳癌が発見され手術をしたがその後順調に回復し、以前のように仕事もし、旅行を楽しんだり民生委員をお引き受けするようになった。
五十八年一月、序文の中にありますように玉穂書道会に入会し、浅野玉穂先生のご指導で書道と俳句の勉強を始め句会の方とも親しく学ばせていただいた。
平成八年秋、みな子は癌が再発転移し、九年七月四日六十二歳の生涯を終えました。
作句は九年春の入院まで続けられ、「香風会」、「俳誌りんどう」へ投句した約八百句が私のもとに遺されました。これを一冊にまとめ思い出に残そうと家族で相談し、玉穂先生に選句をお願いして句集としました。まだ未熟な句が多いですが、みな子の晩年の生活の中で、それぞれに思い出のあるものです。
書道の作品は、落款を私が刻み表装して残しました。
玉穂先生には、書道俳句ともに生前ご指導をいただき、またこの度は御選と、題字ならびに序文を頂戴いたしましたことに深く感謝し厚く御礼申し上げます。
また、先輩句友のご友情に厚く御礼申し上げます。
平成十一年三月
望月 皎也