◆ 小太郎伝説  = 3 = (3/5) ◆

= Geological_Topics =

 


■ 『小太郎伝説』に登場する地名

『小太郎伝説』に登場する地籍/地名を、簡単に説明してみます。

八峰瀬(はちぶせ)山ニテ誕生、日光泉小太郎ト称ス。
 ⇒ 現在の鉢伏山:松本市、岡谷市の境
   小太郎の出生地は、東筑摩郡中山村和泉(いずみ)。
 ⇒ 現在の松本市−中山−和泉

この、「和泉」からも『泉小太郎』の「泉」が推測されます。
「泉」「和泉」「出水」などの地名は、
自然環境的には、「水」に関連する事象がみられる地域に多用されています。
また、安曇野の土地柄、安曇(あずみ/あづみ)から転訛して「いずみ」へとなったのではないか、
といった説もあります。
さらに興味深いことは、「白水郎」「泉郎」と書き、アマと読んで/詠んでいたらしいことです。
アマ⇒海人です。
漁労に従事する人々や、船舶運行に従事する人々のことですね。
ここら辺から、海洋民族である安曇族との関連性が、なきにしもあらず、の感じがします。
小太郎の父・白龍王の白といい、白の下に水で泉といい、こじつけですか・・・ね。

放光寺山ノ辺ニテ成長ス。
 ⇒ 放光寺山:松本市城山(じょうやま)〜蟻ヶ崎(ありがさき)周辺
小太郎母ノ行方ヲ尋ヌルトコロ、熊倉下田ノ奥、尾入沢ト云フ処ニ至リテ逢フコトヲ得タリ。
小太郎尾入沢ニテ犀龍ニ乗リシヨリ今ニ犀乗沢ト称セリ。
 ⇒ 熊倉:豊科町高家(たきべ)の熊倉地籍
 ⇒ 下田:松本市島内(しまうち)の下田地籍
   熊倉と下田とは梓川を挟んで両岸に位置し、橋のない時代、”渡し”の場所であったようです。

『東筑摩郡・松本市・塩尻市 誌』の別冊地名編には、
東筑摩郡島内村(現・松本市島内)の中に、
  犀乗,犀乗沢,鳴沢,尾入沢  などの記述がみられます。
しかも、
  犀乗沢:泉小太郎名馬犀竜ニテ往復セシ沢ナリト伝フ
  鳴沢:犀竜ノ沢渡リノタメ鳴動セリトカ
  尾入沢:犀竜ノ尾ノアタリシ沢ナリト伝フ
などと付記されてもいます。

三清寺(さんせいじ)ト云フ処ノ巨巌ヲ突破シ
又 水内(みのち)ノ橋下ノ岩山ヲモ破リ開キテ千曲川筋ヲ越後国大海マデ乗リ込ミシトナリ。

 ⇒ 三清寺:生坂村山清路
 ⇒ 水内:上水内郡信州新町

是ヨリ此ノ川ニ於テ犀乗沢ヨリ千曲川ヘ落合フ処迄ヲ犀川ト称ス。
 ⇒ 松本市島内下田地籍で梓川と奈良井川とが合流します。(上記文節では、ここから犀川)
    明科町で高瀬川と合流し、犀川となります。

明科町の合流地点より下流の犀川は、安曇野の田園風景とは趣を異にし、
山間を蛇行しながら、生坂村,八坂村/大岡村,信州新町と流下していきます。
独特の渓谷美があり、生坂村山清路と信州新町の久米路橋は、景勝地となっています。
現在では、ダムの湛水により、本来の渓谷美は残念ながら臨むことができません。
しかしながら、湛水面の水面に映り込む景色もまた風情があります。
逆説的に表現すると、美しい景勝地ほど、小太郎親子にとっては難所となったのかもしれません。

小太郎有明ノ里ニ帰リ居住シテ子孫繁昌ス。
年月久シクシテ此里ヲ守護スベシトテ 又 仏崎ノ岩穴ニ入テ隠レ給フ。
 ⇒ 有明の里:池田町十日市場
    [キッズチャンネル・ながの]では池田町十日市場となっています。
    私は素人の域におりますので、敢えて穂高町の有明じゃないのか、とは力説しません。
 ⇒ 仏崎:大町市−常盤−仏崎
    大町市−常盤−仏崎 観音堂裏の窟堂に姿を消した。

窟堂に姿を消した、を古墳埋葬されたと読み替えるのには、少々無理がありますが、
年代的には岩窟が先か、観音堂(祠)建立が先かはわかりません。
私など、有明,住居,岩穴,古墳などのキーワードから、八面大王を連想してしまうのですが。
 

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確かに、大町ダム下流にある「尾入沢」や「泉」という地籍、「仏崎」の観音堂など、
それらしき具材は整ってはいます。
しかしながら、どちらかと言えば、
松本市の中山和泉〜放光寺山〜下田地籍の犀乗沢,尾入沢〜犀川〜生坂村山清路のほうが、
物語的には”しっくり”くる印象があります。

重要な点は、どちらが真実性が高い、ということではありません。
「水」や「土」にまつわる開拓伝説ですので、
全国いたるところで、同様の民話/伝説が語り継がれていて当然、ということです。

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   つづく ( 小太郎伝説 = 4 = )
 

     
     

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